精神的な悩みとお別れ!開運計画✨

縛られない自由な心の実現

弱い人、癒し系な人にも光を

本日風邪気味で

エネルギーダウン↘️

 

そんな時は

「敵」という存在が

とてもしんどく感じる。

 

本来誰とも争いたくはない。

 

しかし

必ず相反する存在はいる。

だからって

いがみ合う世の中で良いものか?

 

「誰とでも仲良くしたい」

こう言うと

無理だとか、

エゴだと言われる。

 

無理だと言われて

無理で終わらしたくない。

というか、

欲求は抑えられない。

 

だからあえて

無理と言われる挑戦をする。

 

感受性の高さは

辛いイメージが付きまとう。

優しい人には

生きづらさがある。

 

考えてみると

おかしな話だ。

 

単純に考えて

「優しさ」とは

素敵な才能なのだ。

 

優しいから嘗められるって

風潮は

意識的に変えていくべき。

 

優しい人は

その優しさが「強み」だ。

 

人の痛みがわかる

感受性の高さは才能なのだ。

 

そんな素敵な才能を持った

「優しい人」が、

どうも才能を生かせてない

世界に感じる。

 

優しい人は

いわば癒し系だ。

 

人が不思議なのは

 

ドラクエとか、

ゲームでは

攻撃役、補助役、回復役など

役割を生かしきれるのに、

 

何故、

人間関係となると

それぞれの役割を生かしきれないのか。

 

優しい人、

感受性の強い人って

ゲームで例えれば「回復役」だ。

 

「強い人」は、

どうも心の弱さを見せない所がある。

 

まるで弱さを見せる事が

「負け」とでも思ってるかのよう...

 

これって、

癒し系という存在を

ないがしろにしてるのでは?と

感じる。

 

自分が癒し系だから

言えるけど、

人の苦しみや、悩みを

聞いてあげたり、

 

少しでも

スッキリさせきれたら

自分の存在意義を感じて

嬉しいもんだ。

 

だから

強い人が

弱さを見せたら「負け」と

考えるのは、

 

癒し系の

能力を受け入れてくれない

ように感じるし、

人格否定されたような気分になる。

 

でも

こういうと、

 

優しい人は無理ばかりするとか、

無理した挙げ句

意見も言えずにストレス貯めて

爆発するとか、

 

そんな風に

言われそうだけど、

 

考えて欲しい。

ゲームの「回復役」と

例えたが、

回復役だからって殺すのか?

 

回復役とはいえ、

ゲームでは死なないように

配慮するだろう。

 

別の例えなら植物。

植物にはマイナスイオン

癒し効果があるものもある。

 

まさに「回復役」だ。

 

だからって水もあげず、

管理を怠れば枯れてしまう。

 

癒し系な人だって同じ

じゃないだろうか。

 

要するに思いやる心が

足りないのではないだろうか。

 

「強い人」はさらに

強くなろうとする。

 

でも、

大事なのは思いやりじゃないだろうか。

 

強い人がさらに強くなって、

優しい人は

ついていくのが難しい。

 

「優しい人」は

癒しの能力があるかわりに

弱いのだ。

 

強い人と弱い人、

お互いが理解し合い

支え合う事が大事じゃないだろうか。

 

優しい人を嘗めるんじゃなく、

優しい人からは

「思いやり」を

学ぶべきじゃないだろうか。

 

そんな意識の人が増えたら、

 

理解されずに苦しむ人も

減りそうだし、

自殺まで追い詰められる事も

減るんじゃないだろうか。

 

そんな事をよく考えます(  ̄ー ̄)